イチナリのロックンロール

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中途半端な努力に結果を求めるな。

よく「努力すれば、報われる。」みたいな事を、親や周りの人に言われてる人が多いかと思います。

私は、「努力すれば、報われる。」という言葉が好きでは、ありません。

少しの期間しか努力してない人が「努力したのに報われなかった。この言葉、信じて損した。」みたいな事を言っているのをよく目にするからです。

そんな甘い言葉があるから、人は自分で限界を決めて言葉を言い訳に努力を怠るようになるのです。

 

「努力は、必ず報われる。」は、本当だと思います。ただ、この言葉を言い訳にして、物事に取り組まない人が嫌いです。

そもそも、「努力が報われなかった。」みたいな言葉を口に出してる人たちは、努力の質が悪いか量が足りないようにしか思えません。

 

例えば、「将来は、プロ野球選手になりたい。」という夢を持っていたとします。

 

A君

小学2年生から、毎日5時間練習。

B君

中学2年生から、毎日3時間練習、2時間自己分析。

C君

高校生から毎日6時間練習。

 

A君、B君、C君ともにプロ野球選手になることが出来れば、努力は報われたと言えるでしょう。

しかし、B君のみプロに入れたとします。

この場合、

A君は「B君より、努力したのに報われなかった。」

C君は「俺だって努力したのに報われなかった。」

と思うと思います。

この場合、A君は、自己分析の時間が足りなかったため、努力の質がB君より劣っている可能性が高いです。

C君は、ハンデが大きい分を練習時間でカバーしようと思いましたが、圧倒的に量が足りません。

量と質を兼ね備えて、努力したB君は、努力が

初めて報われました。

 

例えが物凄く悪いですが、

自分の持っている目標に対して結果が伴なった場合は、努力したと言えますが、伴わかなった場合は、努力の質と量を見誤っており、努力したとは言いきれないと思います。

 

そもそも、自分の努力という行為の見返りを結果に求めてしまうこと自体ナンセンスなことです。

結果が出なくても、その過程までの経験を手にすることが出来たので、財産となります。

 

努力の質と量を兼ね備えて、継続できた人のみが初めて「努力は、必ず報われる。」という言葉を口にしていいと思います。

メジャーリーガーのイチローさんだって、何十年も変わらず努力を継続して、結果をだしています。

幻冬舎の見城さんも「圧倒的努力は、必ず報われる。報われないのは、圧倒的努力ではないからだ。」と言いきっております。

 

努力という行為に対する結果を求めて、結果出なくて、報われなかった。と思って努力を辞めてしまうぐらいなら努力とは、呼べません。

結果が出なくても、諦めないで継続した人のみ、努力という行為に結果が伴ってきます。

 

「努力は、必ず報われる。」は、本当に努力した人のみにしか訪れません。

中途半端な気持ちの努力で「報われなかった。あの言葉信じて損した。」と言ってる人たちは、努力を怠った言い訳にしかすぎません。

 

言い訳する暇があるなら、努力を継続して、結果を手繰り寄せてください。

 

努力は、自分で満足するものでもなく、他人に評価されるものでもないです。

結果が伴った時初めて、努力という言葉が当てはまります。

質と量を兼ね備えて努力を継続し、目標を叶えてください。

 

「努力は、必ず報われます。」

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