他人のことを気にしてる人は、素晴らしい
夜居酒屋に行くと、いろんなテーブルから他人の愚痴が聞こえる。
こういう人たちに遭遇すると、私は素晴らしいと暇なのかと思う2つの感情をもつ。
他人の愚痴を言うということは、少なからず相手のことが好きか嫌いかということだ。
相手に興味があるという事だ。
自分の大切な夜という時間を割いてまで、相手のことを考えていることが素晴らしい。
私は、自分の貴重な時間を割いてまで、相手のこと考えることが出来ない。
それは、何故か?
「やりたいこと」や「考えていること」が沢山あるからだ。
正直、24時間あっても足りないのに、その中に起きてる時間の半分ぐらいを使う仕事があり、寝る時間もある。
仕事と寝る時間を考えると自由な時間は、実質4時間しかない。
4時間あったら読書少しに調べものを少ししかする時間が無い。
時間があったら飽きるまで読書して、調べ物して、自然に触れたり様々なことをしたい。
そんな、大切な人生の時間を他人の愚痴に当ててる暇なんて存在しない。
そもそも私は、他人に興味なんてないのだ。
自分に対して、得があろうと損があろうと興味がない。
自分の知らない知識を持ってたら素直に話を聞きたいし、討論してみたい。それぐらいである。
そもそも、人なんて良い所もあれば悪い所あるのだから、人の悪い所ばかりを気にして、口に出したってしょうがない。
悪い所を直して欲しければ、本人に直接言えば良いのだ。
しかも、そんな愚痴を聞かされてる人の立場なってみて欲しい。
愚痴を言うのは、確かに心が楽になるかもしれないが、それは一時の気休めにしか過ぎない。
どうせ、同じことをまた抱いて、自分の時間を割いてまで同じ愚痴を繰り返す。
生産性の無さに呆れてしまう。
そこまで文句があるなら直接言えばいいのだ。
直接言ってしまえば、自分と相手との2人だけのお話になる。
このことから愚痴を言ってる人・愚痴を付き合う人には、ある意味尊敬する。
そんなに他人のことを思いやれるなんて、素晴らしい。
そして言ってやりたい、「暇なの?」って
そんなに相手の事考えることが出来るなら、良い所を見つけたり、悪い所をどうやったら修正出来るかを考えて、修正してあげて欲しい。
自分の大切な時間をそんなに割くほど気になるなら、少しは違う行動をしたほうがいい。
こんなに否定しておいてなんだけど、愚痴を言いたくなる気持ちも分かる。
言ってしまいそうな時が私もある。
そんな時は、携帯のメモ機能かノートにひたすら、愚痴を書く。
そうすることによって、心のモヤモヤがとれ、自分のダメだったこと、相手の直して欲しいところが明確になる。
課題が明確になったら、それに対してどうアプローチするかを考えて、行動している。
だいたい、そこまで辿り着いたら、心がスッキリしている。
他人のことが気になる人は、素晴らしいエネルギーを持っているのだから、他のことに使って欲しい。時間の使い方が上手な人間になって欲しい。
人生をもっと豊かなものにする努力をしよう。
そうすれば、後悔しない人生に近づくことが出来るかもしれません。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。